全体発表会トークセッションレポートmigakibaのこれまでとこれから

2024.03.10

migakiba全体発表会会場のTOKYO TORCH常盤橋タワー 3Fにてトークするツェン・フェイランさん(左)、工藤尚悟さん(中央)、田村大(右)。

4期にわたり実施してきたローカルSDGsリーダー研修migakibaは、環境省が主催し実施する事業としては今年度が最終年度となりました。最後の全体発表会ではゲストアドバイザーに国際教養大学准教授の工藤尚悟さんと、株式会社ROOTS共同代表の曽緋蘭(ツェン・フェイラン)さんを迎えました。これまでのmigakibaで、工藤さんはmigakiba2期・秋田県南秋田郡五城目町、曽さんはmigkaiba3期・京都府京都市京北にて、現地事務局のメンターを務めています。本レポートではmigkaibaディレクターの田村大がモデレーターとなり振り返ったmigakibaの意義と、これからの可能性を探るトークの模様をお届けします。

工藤 尚悟
工藤尚悟さんのプロフィール写真
国際教養大学国際教養学部・准教授/migakiba2期・秋田県南秋田郡五城目町事務局メンター
秋田県能代市出身。東京大学大学院新領域創成科学研究科修了(サステイナビリティ学博士)。南アフリカ・プレトリア大学アジア研究センターリサーチフェロー。専門は、サステイナビリティ学、開発学、地域づくり。秋田と南アフリカの農村地域を行き来しながら、異なる風土にある主体の邂逅から生まれる“通域的な学び(Translocal Learning)”というコミュニティ開発の方法論の構築に取り組む。
曽 緋蘭
曽緋蘭さんのプロフィール写真
株式会社ROOTS共同代表/migkaiba3期・京都府京都市京北事務局メンター
サンフランシスコにて社会課題解決型のインダストリアルデザインを学び、卒業後インテリアデザイン会社でブランディングを手掛ける。2005年に帰国。京都でヘルスケア商品のプロダクトやUI・UXデザインのディレクションを行う。2016年より独立、京都市京北の茅葺古民家に住み、地域の魅力を引き出すコミュニティデザインを行う。現在は世界中の学生や、建築家、デザイナーを里山へ招き地域の智慧と世界の智慧を繋ぐ研修ツアーを企画運営。
田村 大
田村大さんのプロフィール写真
株式会社リ・パブリック共同代表/migakibaディレクター
神奈川県生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程単位取得退学。新卒で博報堂に入社後、デジタル社会の研究・事業開発等を経て、株式会社リ・パブリックを設立。欧米・東アジアのクリエイティブ人脈を背景に、国内外で産官学民を横断した社会変革・市場創造のプロジェクトを推進している。2014年、福岡に移住し、九州を中心とした活動に移行。2018年より鹿児島県薩摩川内市にて、「サーキュラーシティ」の実現に向け取り組んでいる。現在、九州大学、北陸先端科学技術大学院大学にて客員教授を兼任。

タペストリーを織るように

田村:今日は長浜市と大崎町で、それぞれの角度から地域の持続可能性を深堀りし提案に結びつけた代表チームのお話を聞いていただきました。これまでmigakibaで4期にわたって、いろいろな地域の違いを探ってきたなかで、「地域の多様性」にはどんな意味があるのか、そのおもしろさについてお話していきたいと思います。まずは緋蘭さんから京北と比べたときの違いについてお聞きできますか?

曽:実は京北って、20年ほど前に京都市と合併しているんですね。それまでは京北そして茅葺きの里として有名な美山は、北桑田郡という一つのエリアにありました。そこが京都市と南丹市にパツンと分かれた経緯があります。そもそも京都市の一部としての歴史が短いので、京都の方たちに、京北のことを自分ごととして取り組んでもらうのがすごく難しいんですよね。そういった経緯もあって、私たちが活動するときには「京北と京都は桂川の流域でつながっている」という物語をお話しています。
今日は長浜市の現地事務局「イカハッチンプロダクション」のお話を伺うなかで、地域のおもしろい動きをポンと取り出して、いろいろな人たちを呼び寄せて人の流れを生み出すような活動が見えてきて、すごくいいなと思いました。

曽緋蘭さんが会場のTOKYO TORCH常盤橋タワーで笑顔で話している様子です。
migkaiba3期・京都府京都市京北事務局メンターの曽緋蘭さん

田村:実は今回、大崎町現地事務局代表の齊藤さんは、大崎町に閉じずに、隣りの志布志市と一緒に取り組むことを意図した体制やフィールドワークを設計されていました。大崎町についてはどうでしたか?

曽:廃棄物に関する話題になると、「地域を汚されるんじゃないか」って地域住民の方々が嫌がることってよくあるじゃないですか。でも大崎町では「ゴミを分別する」っていう、ものすごく地道な作業で地域を盛り上げている。とても丁寧な自治だなと思ってお聞きしていました。

田村:なるほど、「自治」っていう意味で、そこが魅力になっている地域って、あまりないかもしれないですね。

曽:私は経糸と緯糸でタペストリーを織るようなことが、地域の創生ではすごく重要だと思っています。それも補助金を使って年に一回だけやるような話ではなくて、日々の暮らしのなかで、どうやってみんなでタペストリーを織っていくかが大事だと思うんです。それが「ゴミの分別でできるんだ!」っていうことにハッとさせられました。

田村:それ自体が発明っていうことですね。工藤先生はどうですか?

工藤:大崎町は最初の齊藤さんからのプレゼンテーションで、三層にわたる空間的な図を見せていただきました。その意味で、大崎町では「空間軸」が強調されていました。一方、長浜市のほうは「100年、1000年の単位で考える」という話が印象に残り、こちらは「時間軸」だったなと。いま緋蘭さんがおっしゃった「経糸と緯糸」っていうのは、別の見方をすると空間軸と時間軸をどうやって折り合わせていくのかということなのかなと思いました。

九州の地図上に、大崎町を中心に、大中小3つの円が広がっています。円の上には参加者が見学した大崎町の埋立処分場や大崎有機工場での見学の様子が写っています。
大崎町現地事務局代表の齊藤智彦さんが、migakibaで実施したフィールドワークの設計について説明した図。参加者は大崎町で完結する小規模の循環と、九州に広がる中規模の循環、西日本さらには海外まで広がる大規模の循環、3つのサイズの循環を具体的な施設をめぐりながら体感しました

工藤:田村さんの質問にあった「多様性」は、キーワードとしていつも意識しています。五城目町の場合は、もともと1965年に約1万9,000人だった人口がいま約7,800人まで減少してきていて、さらに今後、4,000人台に向かう見込みです。人口が1万9,000人から4,000人になったら、住民の多様性は必然的に減ると思うんですね。それが都市と地方とのもっとも大きな違いの一つで、都市にはいろいろな職種があり、いろいろな考え方をする人たちがいて、なおかつ人の流動性も高い。だから同じ10万人でも、1年後には質的に変化した10万人がそこにいることもある。一方、地方では10年も20年もほとんど同じ属性の人たちが住み続けていることもあります。だからこそ、地方では多様性が低い状態で停滞してしまうことをいかに回避するかの戦略が必要だと思うんです。そう考えると、人口が減少していく最中で、現状の人口規模を維持することをゴールとして設定するのではなく、人の流れが常にある状態をつくり、高い多様性を保つことが重要なんじゃないか。今日お話を伺ったなかでも、テーマは違ってもいろいろな企てをすることによって、人の流れを起こし、その流れを強くしたり、太くしたりするということが、起きているように思いました。

暮らすように地域と関わる

田村:いままでいろいろな人材育成や研修に関わってきていますが、migakibaではフィールドワークや現地での報告会を大切にしてきました。1期はコロナ禍で現地には行けなかったんですが、2期からは現地での体験に参加できることが参加者にとっても魅力になっていたと感じています。実際、フィールドワークに参加できたチームはその後のモチベーションも高く、プロジェクトとしても伸びていたと思うんですよね。おふたりは違う立場で教育を生業にされているなかで、体験や一次情報の価値をどう考えていますか? 「もっとこんなプロセスだったら良かったんじゃないか」っていうことも含めてお聞きしたいです。

曽:migakibaには「サステイナブルな活動がしたい」とか「地域の課題が解決したい」といった意思で参加された方々も多かったんです。最初の頃はよく「ROOTSさんは何の課題を解決されたんですか?」って聞かれたんですよ。でもROOTSは別に課題解決をしてきたわけじゃないなと。ほかにも「京北への移住のきっかけが何だったんですか?」って聞かれることもあったんですけど、それは「ご縁」みたいなもので、何かを背負ってスタートしていたわけじゃなかったんですね。
実際やってみて、「社会課題を解決するために、私たちは何ができるのか」っていう視点で参加された方々はその後、継続することが難しいなと感じたんです。逆に「京北に生息しているオオサンショウウオおもしろい!」とか、何か小さくてもヒントになることを見つけてスタートしていく方が、プロセスとしてはわかりやすかったのかなと思います。

ちきゅプロ探検隊による地球のプロと旅する企画in京都京北に関するnote記事のトップ画面。京北を流れるおだやかな河川をメインビジュアルに、実施レポートのタイトルが書かれています。
京北ではmigakiba卒業生らが両生類研究者とともに、河川に生息するオオサンショウウオの調査会を実施。全体発表会ではほかにも、いまも活動を継続するmigakiba卒業生や過去の現地事務局からの報告が多数ありました

【実施レポート】地球のプロと旅する企画 in京都京北 ~両生類の研究者 京都大学西川完途教授~
(外部サイトへリンク)

工藤:migakibaで事業をつくるきっかけを探すときに、やはり課題を見つけるところからはじめるのは、わかりやすいと思います。参加者の方も課題を見つけて、それに対する解決策を考える、という順番に慣れていますしね。でも今日、長浜市の荒井さんのお話のなかで、「イカハッチンプロダクションには命題がないんです」とおっしゃっていた。目的がないグループって、課題解決型の思考からはなかなか理解しづらい。「目的がないのに集まるってどういうこと?」みたいな。都市では、目的コミュニティがメインになりますが、地域では違う合理性にもとづいて人が集まる。イカハッチンがその良い例なのかなと思いました。
また、荒井さんのお話の続きでは、「経済に乗っているものと乗っていないものがある」とおっしゃっていた。これもとても印象的でした。たしかにその通りで、物々交換するとか、草刈り作業をみんなでするとか、貨幣経済の外側にある活動がたくさんある。地域に関わったことがない方々には想像できないような仕組みで豊かな暮らし方を生まれたり、課題が解決したりしていく。そんな光景に触れたときに初めて自分が慣れ親しんだ発想のパターンを疑いはじめる。五城目町の場合でも、課題解決型のマインドをもって来てくれた方は、いつもの思考パターンを学びほぐすような経験をしているのではないかなと思います。

田村:「こういう課題を解決したい」っていう自分の動機づけを、そのまま地域に持ち込んで実践しようとして、肩透かしを食らったり、上滑りしてしまったりすることってありますよね。同時に、自分が思っていたことと違うことを目の当たりにしたり、解像度が上がったりすることによって、自分の視点が切り替わることもあると思うんですよね。
別の取り組みで、ある水産会社の方が「未利用魚の問題に取り組みたい」っていう話をされていました。ご存知の方も多いと思いますが、未利用魚っていうのは漁獲された魚のうち市場に流通せず、多くが廃棄されてしまう魚のことです。漁獲量の3割ほどが未利用魚に当たると言われていて、「命を粗末にしている」とか、「水産資源の枯渇を加速させているんじゃないか」とかっていう批判があるわけですよね。ただ実際に現場に行って、漁師さんに話を聞いてみると、未利用魚の問題はどちらかというと、漁業や水産業そのものの問題というよりも、水揚げされたものの行き場がない魚をつなぐ流通の問題だったことに気づく。そうすると、もともと考えていた水産資源に対する課題とは全然違うところに課題が出現してくるんですよね。
こうしたプロセスをオンラインだけで実施するのは限界があって、そこに一次情報の意味があると思うんですけど、おふたりにもそうした体験があれば、教えていただきたいです。

曽:いまの漁業の話と、林業の話って実はつながっているなと思いました。京北の杉材って、いまは京都市内ではほとんど使われてないんですね。川の間にダムができて、流通経路そのものが無くなってしまった。不動産会社の人たちに「どうやったら京北の木材を使ってもらえますか?」と相談したら、結局のところ、「規定に沿った木材を製材所で一定量束ねた状態で発注をかけられて、トラックで順番に回りながらピックアップすることさえできれば、使えますよ」って言われたんですよ。ただ、一社ずつ「この材ありますか?」と話をしてとなると面倒で、どうしてもシステムが揃っている海外の市場から発注する方がやりやすい。
先ほどおっしゃったような漁業のなかで、そういったシステムができ上がったら、「これ林業にも使えるんじゃないか」というような俯瞰した視点が、migakibaを通じて育っていくのかもしれないなと思いました。

田村:たしかに、木も植物っていう意味では工業製品ではなくて、魚と同じ生物ですよね。

曽:魚と同じで、木にも実は大トロや中トロみたいな部分があるんですよ。パンの耳みたいに切り落とした部分って、魚のアラと同じで、木材としては活用できない部分もあるんです。でも見方を変えると、そこが欲しいっていう方が出てくることもある。

田村:なるほど。工藤先生から見て、自分が活動する現場をもつ意味って何かありますか?

工藤:どうしても話が抽象的になってしまって申し訳ないんですが、地域と関わるときのアプローチが課題解決じゃなかったら、では何がオルタナティブになるのかと考えると、僕なりの答えとして「地域は暮らすもの」だと思っています。
もちろん問題があれば解決していった方がいい。ただ、はじめから課題解決型で地域に入っていくと、物理的には地域のなかにいても、思考的にはいつも地域の外側にいることになってしまいます。課題を解決するには、何が起きているのかを、その対象の外側から、観察して、分析し、介入する必要があります。ここにあるテーブルが地域だとしたら、課題解決型の思考で地域に関わるということは、常にこのテーブルの外側に自分がいる、ということになります。対照的に、地域に暮らすように関わろうとするとき、私はテーブルの内側にいます。外側から見える景色からでは決してわからないが、そこに暮らすように関わることで身体的に分かることがある。そうして地域という対象と関わろうとすれば、地域を変えるのではなく、「自分がもっと楽しく暮らすにはどうしたらいいか」っていう発想になります。少しとんちのように聞こえるかもしれませんが、この状態は自分が地域の一部になっている状態なので、自分の変化がそのまま地域の変化になります。地域にとっては、そういう暮らすように関わることができる人と、外から客観的に状況を見てくれる人のバランスが大事だなと思います。

工藤尚悟さんが会場のTOKYO TORCH常盤橋タワーで笑顔で話している様子。
migkaiba2期・秋田県南秋田郡五城目町事務局メンターの工藤尚悟さん

異なるOSを翻訳する

曽:工藤先生も国際教育に携わっていると思うんですけど、私たちも山に木がひしめいていることが課題だと思って解決のために、香港理工大学をはじめ、いろいろな大学の学生をお呼びして話したんです。でも台湾や香港はコンクリートの家が主流で学生たちにとっては、木そのものが関わったことがない素材で、すごい魅力なんですよ。「こんなに好きに木を使っていいのか!」と驚く学生たちの姿を見て、私たち自身も「いままで見てきた課題って何だったんだろう。課題じゃなくて魅力だったんだ!」と気づく瞬間があったんですよね。工藤先生にも、そういう気づきってありますか?

工藤:そうですね。いろいろあるんですけど、私自身が一番ハッとさせられたのは言語の多様性です。私のもう一つのフィールドである南アフリカには、実は公用語が11個あるんですね。公文書にも11言語でアクセスできる。一方で、日本に住んでいると、言語的な多様性って、ほとんど考えない。そして多様性に触れたときにも、たとえばコンビニで、外国人の店員さんがレジで話す日本語がちょっと変だなと思っちゃうようなことですが、むしろバイアスとして出てきてしまう。聞き慣れた日本語が日本語であり、違和感を感じる日本語に対して不寛容な反応をしてしまう。南アフリカの場合には、公用語だけで11個あり、自分と他者の母語が異なる場面が頻繁に起きます。そうすると、たとえ英語が下手であっても、聞く側が寛容な姿勢でこちらを理解しようとしてくれます。ある言語をみんなが同じように話せるという基盤がないんですね。日本語、英語、ズールー語、というように言語学的に異なる言葉じゃないかもしれないけれど、日本の地方の場合にも言語の多様性を意識することは多くあると思います。そして、言葉で語り尽くしたり、説得力のある話し方ができたりする人の意見がいつも通るわけでもなかったりする。徳を積むことのほうが重要視されることもあり、それが懐の深さなんじゃないかなと僕は思っています。見方によっては、それは閉塞感にもなりうるわけですが。

田村:ゲストアドバイザーのおふたりも、今回、長浜市と大崎町で事務局代表を務めてくださったおふたりもそうなんですけど、migakibaで現地事務局を務めている方々って、移住者が多いんですよね。それって、地域外の人が地域とつながるときに直接では難しくて、翻訳者が必要っていうことなのかなと。おふたりがある種の翻訳をされるときの難しさについて伺えますか?

曽:最近よく言っているのが、田舎OSと都会OSがあると。どっちがいいっていうことではなくて、考え方も動き方も徳の積み方も、本当に違うんですよね。でも都会OSをもっている方が都会OSでしか機能しないものを地域で提案してしまうことがよくあると思うんです。だからこそ田舎OSと都会OSの真ん中に立てる人がすごく大事だなと思いますね。

工藤:そうですね。例を挙げると本当にきりがないですけど、もうまったくその通りだなと思います。ただ、地方側にいる人は、都会OSと田舎OSの両方の存在を知っているし、使い分けができるけれど、都市側にいる人の多くは、田舎OSの存在すら知らないのではないでしょうか。もしこの状況が事実ならば、地方側にいる人のほうが圧倒的に有利な状況にいるなと思います。都会OSの基本ルールは経済合理性や効率だと思いますが、地方側にはそれとは異なる合理性がたくさんあり、migakibaで経験できることの一つは、両方のOSの存在に気づかされるということかもしれませんね。

田村:めちゃくちゃおもしろいですね。それはあると思います。

曽:都会OSはたぶんオンラインでも伝えられる可能性があるんですよ。でも田舎OSは現地で体験しないといけない。感覚値として入ってこないと、キャリアが積めないんですよね。

田村:なるほど、ありがとうございます。そうすると実はこのmigakibaというプロジェクトは図らずも、都会OSと田舎OSのコンバーター(変換器)が全国に19個あることを明らかにしたっていう話でもありますね。

曽:そうですね。国際教育ツアーをやっていくなかでわかってきたのが、日本語でのコミュニケーションの仕方って、すごく独特なんですよね。たとえば英語や中国語だと、だいたいS(主語)V(動詞)O(目的語)のように、「私、やる、これ」に、修飾語が入ってくるんです。でも日本語ってとくに田舎だと、「こうこう、こういうことが起きたので、私がやることになりました」みたいな文章で、いつまで経ってもSとVが出てこなくて、ずっとOが出てきてから、やっとSVが出てくる。日本の田舎では非言語コミュニケーションが多いからこそ、里山のOSが受け継がれてきたんだなって気づいたんですね。
それが実は海外の方がもっていない考え方やOSとして、重宝されてきてるんじゃないかと思います。逆に都会OSって、「結論から言いなさい」とか「最初に何個テーマがあるかを伝えて、順番に言いなさい」とか、すごく英語的なマインドで話をしてますよね。

田村:なるほど。そういう意味で言うと、Oをひたすら話しまくるって、ある意味ネイチャーセンタード(自然中心的)な考え方でもありますよね。自分を取り巻くいろいろなものによって自分は生かされているみたいな。

曽:そういう考え方だと思います。Oがいっぱいあるから、これをやることになった私、みたいなのってすごく八百万の神だなと(笑)。

田村:めっちゃおもしろいですね。

工藤:それとつながるところで、五城目町も大きな旗やテーマがない町だなと思っています。ただ、移住してきた方々や、30〜40歳代の方たちを中心に、いろいろな企てが起きている。それがどういうふうに起きるかを8年ほど見ていて気づいたことがあります。それは、1枚のカーペットの上に、ボールを一つ落とすと、その部分が深く沈むじゃないですか。その沈んだ場所に重力というか、磁場のようなものが生まれて、周辺の人たちがスルスルと引き寄せられていく。このときのボールは、何かやりたいことがある人の思いや最初の行動で、それを見ていたまわりの人たちが集まってくる。そして、「それなら私はこれができるよ」って言って一緒に動く。一箇所に生じたアイデアを一つ実現させたら、カーペットはまた平らに戻る。次に重力が生まれたところに、みんながまたスルスルスルって引き込まれる。そういう現象が連続的に起きているんだなと理解しています。
このことが、いまの話と通じるとことがあって、つまり、西洋的な個が不在なんじゃなくて、何かができる人という個が、タイミングに合わせてシュッと集まるみたいなことが起きているのかなと思いました。これがもし大きい都市でマーケットがあれば、このプロジェクトのデザインは広告会社やフリーランスのデザイナーに外注しようとなるけれど、小さくて人が少ない町では、むしろ一つのアイデアを実現するために必要なスキルや経験をもっている人が、勝手に集まってきて、サクサクっと実現してしまうっていう現象が起きやすいのかもしれません。

田村:おもしろいですね。先ほど、緋蘭さんからmigakibaにインスパイアされたかたちで、「世界のトビラ道場」という企画をはじめられるというお話もありましたが、最後に、migakibaで生まれた現地事務局や卒業生とのつながりを、今後どう活かしていくかについて伺いたいと思います。いかがでしょうか?

世界のトビラ道場ウェブサイトのトップ画面。京北の田園と森に囲まれた風景のなかで、留学生たちが自転車にまたがりながら、つないだ手を掲げているメインビジュアルの右脇に、「里山と世界がつながる180日」という見出しが書かれています。
京北ではmigakibaのような実践的な学びの場を継続して展開するべく、「世界のトビラ道場」を発足。株式会社ROOTSが運営する古民家宿泊施設を利用しながら、イベントや事業の実践に取り組むメンバーの募集をはじめています

世界のトビラ道場ウェブサイト
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曽:この全体発表会で出会えたことがきっかけで、工藤先生の実践されている海外連携についてもお聞きできて、地理的には離れていても何か一緒にできるんじゃないかって思いました。実際、先ほどお話したようなOSの違いを理解してもらうだけで、ものすごく時間がかかることもあって、migakibaでOSの違いを理解して、プロジェクトマネジメントができる人たちがこれだけいるんだと思ったら、すごく心強いなと。
このOSの違いって、写真のネガティブとポジティブを見るような感覚なんですよ。写真のポジティブが「私たちがここに立って何をするのか」だとすると、ネガティブの部分は「何があるからこの空間が生まれたのか」。 主題的な部分ではなくて、つなぎのところをどうデザインするのかっていう意識なんですね。その意識や感覚が共有できている人たち同士が連携し合えると、物事が動くんじゃないかと感じています。

工藤:今日のお話を聞いていて、「循環って、マテリアル=ものだけの循環では決してないんだ」っていうのが一番大きな気づきでした。それは情報や知識のやり取りもだし、文化もどんどん循環して、その流れが続いていくことが、地域が存続していく一つのパターンなんじゃないかと思いました。
都市と地域でいうと、地域だけで完結しているネットワークがすごくたくさんあって、それが都市とつながることで生まれる物事もあるけれど、物理的な距離を越えた地域同士のコミュニケーションで生まれる物事もある。いわばカーペットの全国版のようなものがあって、migakibaのネットワークは、ポテンシャルのある人たちがそのカーペットに乗っている状態。ちょっと強めの重力じゃないと集まらないと思うので、どうやったら重力を生み出せるかが次のステップかなと思いました。

田村:めっちゃおもしろいですね。migakibaで目指している人材育成って、ざっくり言うと、ふたつの方向性があって、一つは工藤先生がおっしゃったように、地域に重力のある場を生み出して、新しい可能性の芽を育てていく人材。もう一つがおふたりのような翻訳ができるOSコンバーターにあたる人材なんだと気づきました。後者はいままであまり注目されていませんでしたが、もしかすると今後のローカルSDGsではすごく重要なのかもしれないと腑に落ちました。今日はありがとうございました。

曽・工藤:ありがとうございました。

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